花の都の動く歩道と、スローな市電
フランス・パリで地下鉄に乗るとき、時刻表など気にする必要はない。短い間隔で次々とホームに滑り込んでくるからだ。
『NAVI GO』という、『パスモ』のようなタッチ式カードも、早くから導入されている。
さらにはモンパルナス・ビアンヴェニュー駅には、高速の『動く歩道』がある。数年前の完成当初に世界最速を謳ったこの設備、今は安全上速いほうのレーンでも時速9kmに減速された。それでも乗ってみると充分に速い。
そうしたスピーディーなインフラの数々に接していると、ボクの中には、東京のサラリーマン時代の記憶が自動的にムクムクと起き上がってくる。
やっては危ないと知りつつも、むかし毎朝、青梅線から中央線への乗り換えで鍛えた駆け込み乗車を敢行してしまう。イタリアの、のんびりした中世都市に住んで10年になるというのにだ。自分でも可笑しくなる。
■花の都の「スロー」な市電
そんな忙しいパリで、いわば対照的ともいえる、スローな交通機関が好評だ。
パリの東に開通した市電・T3線である。
昨年、開通前に本欄で短く紹介したが、ようやくボクも乗る機会ができた。
このT3、現在営業しているのは7.9kmで、停留所数は17だ。
不遜な言い方をお許し頂ければ、「ボクのためにできたような市電」である。
イタリア住まいのボクは、南郊のオルリー空港からパリに入ることが多い。空港と市街を結ぶ鉄道は、市電の停留所のひとつシテ・ウニヴェルシテル(大学都市)駅で接続する。
また花の都といえボクの定宿は、環状道路沿いの安ホテルである。市電は、そうした地域に行くバスと、多くの駅でうまく接続してくれるのである。
さらに、クルマ系ショーが行なわれる見本市会場も沿線だ。ついでにいうと、終点のポルト・ド・イヴリー近くには、安くてボリューム満点な食堂が軒を連ねるパリ最大の中華街がある。
なにより低床式のため、重いスーツケースを持っているときも助かる。
T3線の速度は現在のところ、僅か時速11kmだ。
それでも約300人乗りの車両が21両配備され、通常5分間隔で運行されている。そのため、パリ市によれば昨年12月の開通から3カ月間で、延べ500万人が利用したという。現在の1日あたり乗客は8万人で、この数字は同じ路線をバスが走っていた時代と比べると、3万人増という。
速度は遅いものの、確実にやって来て、大量の乗客が運べる市電は、古くて新しい都市交通問題解決の切り札だ。
世界最速レベルの動く歩道と、ゆったりと走る市電。このコントラントが面白いではないか。
■治安改善にも効果あり?
パリ市とパリ交通営団は、このT3線のさらなる東への延伸を計画している。
便利になったぶん、沿線の地価高騰という「おまけ」が付いてきてしまったのも事実なようだ。
だが、こうした市電による郊外へのアクセス改善は、地域の治安改善にも効果があるだろう。
地下鉄と違って、市電が通るということは、車上の乗客の視線が街路に行き渡る。すると、自然に街のブラックホールが少なくなる。ここ数年来、そしてサルコジ候補の大統領当選でふたたび問題になっている郊外の治安悪化抑止にも、効き目があるかもしれない。
■やらせてみたい、あのゲーム
そんなわけでボクはパリ滞在中、すっかりこの新市電の虜になった。
特等ポジションは運転室が見渡せる先頭車両である。
軌道の間には芝生が植えられている。その緑は視覚的にもよい効果的だ。同じ場所なのに開通前、自動車に占拠されていたときの殺風景が嘘のようである。
TGVも手がけるフランス屈指の重工メーカー・アルストーム社による車両は、全長43メートル、全幅2.65メートルだ。
面白いのはメーカーも誇るハイテク制御の恩恵で、運転操作は見ている限り、従来車両より格段に容易なことである。
ゲーム『電車でGO!』が一世を風靡したとき、ボクはその“運転”が下手で、画面脇に出てくるキャラクターの通勤OLに怒られなかった試しはなかった。
もしかしたら、楽ちん操作のT3線に慣れきった運転士さんを呼んできて『電車でGO!』に挑戦させれば、惨敗かもしれない。・・・などと、これまた不遜なことを考えていたボクは、ばちが当たったのか、空港行きに乗り換える降車駅を見事に乗り過ごしてしまった。